マイケル・リンドナー インタビュー

この記事について

翻訳および転載について

このインタビューは、2009年10月にウェストコースト・パイプショー(WCPS)のホームページに掲載されたものです。当翻訳は著作権者であるWCPSのマーティ・パルヴァース(Marty Pulvers)氏とデイビッド・ミグダル(David Migdal)氏の許可を得て翻訳・転載されたものです。翻訳および転載を快諾してくださった両氏には深く感謝の意を表します。原文はこちら
http://westcoastpipeshow.com/Michael_Lindner.html
になります。

Marty and David, Thank you very much for your kindness to give me the permission for translation. (oldbriars)

「ウェストコースト・パイプショー」について

アメリカ合衆国におけるパイプショーの歴史は1970年代にまで遡りますが、初めに開催されたのはサンフランシスコに於いてでした。しかしここ十数年、西海岸ではパイプショーの空白期間となっており、ショーの必要性がたびたび叫ばれていました。こんな状況の中、かつてサンフランシスコにパイプショップを構え、現在はオンライン・ウェブショップPulvers Briarを運営するマーティ・パルバース氏が中心になって、西海岸でのパイプショーの復活を目指したのがこのウェストコースト・パイプショーです。本年度は10/31日よりラスヴェガスで開催されます。詳しくはWCPSのウェブサイトでどうぞ。

West Coast Pipe Show

はじめに

ウェブに掲載されているマイケル本人による自己紹介より:

「―僕の名前はマイケル・リンドナー。僕はミシガン州デトロイトで生まれ育ち、(ある時期にはロサンジェルスに居たこともあったけれど)未だにここに住んでいる。現時点で僕は36歳で、2000年からパイプを作っている。パイプメイキングに関しては、始めた時に色々な作家から情報や激励(有名どころでは基本的な工具のセッティングの仕方を教えてくれたJ.T.クック、最初のころに僕を激励してくれて、物事の"正しい"やり方を教えてくれたジョン・イールズ、設備や工具についての洞察力をくれたトレバー・タルバート、そしてボウルコーティングから旋盤の選び方に至るまで色々なアドバイスをくれたポール・ボナキスティがいる)を頂いたけれど、ほとんど自分で覚えたんだ。僕はバックグラウンドとして、ファインアートやコマーシャル・アート、デザイン、そしてビジネス管理を学んできた。」
「―パイプメイキングへの道のりは長く曲がりくねったものだったね。正直なところ旋盤を購入して工房に据え付けるまで、パイプを作ろうなんて考えてみたこともなかったんだ。1997年にThe Piperackを設立して、僕は既に業界の一員だった。そして2000年が始まるころには自分の商売に完全リペア・サービスとレストア・サービスを組み入れるつもりだったんだ。だから旋盤を買ったというわけ。ほんの気まぐれに、僕はマーク・ティンスキーのところで買ったブライヤーブロックを手に取って見た。そして僕が一個のブライヤーブロックの側面を見つめると…パイプがそこに見えたんだ。とまあそんなわけさ。とても直観的にパイプメイキングに関わることになったんだよ。まるで一度はすっかり忘れてしまったものの、常にそのやり方親しんでいたことをもう一度思い出すような体験だったね。」

私たちはマイケルと一緒に座って、私たちの掘り下げた質問に対する回答を得ることができた。楽しんで頂ければ幸いです。(デイビッド・ミグダル/ウエストコースト・パイプショースタッフ)

マイケル・リンドナー インタビュー

デイビッド・ミグダル(以下DM):あなたは自分がパイプ作家になると思っていましたか?パイプ作家になると決めた理由は?パイプを趣味から職業に変えることになるまでに起こったことをざっくりと話して頂きたいのですが。

マイケル・リンドナー(以下ML):うん、僕はパイプスモーキングを24歳の時に始めたんだ。1994年の話だね。友達と遺産売却セールに出くわした時に、未使用パイプのコレクションを見つけたんだ。それでパイプを始めたというわけ。そのとき8本のパイプをゲットしたんだけど、1960年代のサシエニやサビネリもあって、パイプ・コレクションに手を染めるには悪くないスタートだったよ!それよりも以前、18の頃からシガーも吸っていたから、僕にとってパイプへの移行はある程度自然なものだったんだ。

他の多くの人たちと同じように、着香煙草なんかをどうにか吸い続けて5年ほど経って、1998年ぐらいだっけな。バルカン・ソブラニーを発見してパイプ煙草って本当は美味しいものだということに気が付いたんだ。加えて次にはパイプによって味が変わるということにも気付いた。そこから僕の(今かなりある)パイプコレクションが始まったんだ。パイプを買い、ebayで売り、そしてついには、1999年にThe Piperack(訳注:マイケルが経営するインターネット・パイプショップ)のウェブサイトを始めることになってね。

事業は好調で売り上げは急速に伸びた。その当時他のどこでも見られないようなレストア・サービスをThe Piperackが提供していたのも理由の一つだろうね。2000年の初め頃、提供可能なサービスの一覧にリプレイスメント・ステムの製作も加えることにした。その頃J.T.クック(訳注:北米最高峰のパイプ作家の一人。パイプ製作だけに注力するようになる以前には、精妙なパイプリペア/レストアの腕で知られていた)がリプレイスメント・ステムの製作をやめてしまっていたんで、モールド・ステムだけでなくハンドカットのステムを提供するいい機会だと思ったんだ。僕はプランを練り始めた。売りに出ている旋盤を探し、ドリル・プレスを購入し、次は電動糸鋸、その他にも色々と…。そしてマーク・ティンスキー(訳注:北米のベテランパイプ作家。パイプ製作用の材料を提供していることでも有名)のところでステム用の丸棒を買うときに、ついでにいくつかブライヤー・ブロックも購入したんだ。…なんでそんなものを買ったのかわからないんだけどね。正直に言うと、この時になっても自分でパイプを作るなんて頭に浮かんだこともなかったんだ。

2000年6月、ティンスキーからの荷物が届いて僕はブライヤーブロックの中のひとつを手にとって見た。…これが天啓だった。僕の目には、そのブロックの中に完成したパイプの像が浮かんだんだ。そう、三次元的にパイプの姿が見えたんだよ。それは直感的なもので、まるで生き別れになってずっと会ったことのない双子の兄弟に再会したみたいに<分かった>んだ。それでパイプを作ることに決めた。それまで旋盤なんか触ったこともないし木工なんてやったこともなかったのにね。僕はブライヤーを供給してくれる業者を探し始めた。ステムはハンドカットするつもりだったから、丸棒のストックは既にすこしばかりあった。ハンドカット・ステムだって?もちろんそんなものはそれ以前に一度も作ったことがない。なのに気付いたら僕はメーカー刻印に製作年スタンプまで業者に発注していたんだ。ヨーロッパのパイプ作家につてのある友人を通じて、十分に熟成したイタリア産・コルシカ産ブライヤーを周旋してもらった。僕のパイプ作家稼業の始まりはこんな感じだったんだ。

2000年6月15日頃に、僕は始めてパイプを仕上げた。僕の作ったこの最初のパイプは、写真のリンクをalt.smokers.pipe(訳注:世界規模のパイプ関連ニューズグループ)に投稿したところ直ちに反応があって、買いたいという申し出を受けた。僕は数年間パイプ業界に身を置いていたから、まだやるべきことは残ってると分かっていたのはいいことだったね。それから12本ばかり「習作」パイプを作ったよ。ほとんど人にあげちゃったけれど、No.1、No.3、No.5とあともう少しは手元に残ってる。そして2000年の10月に、僕は初めてパイプを売った。値段は500ドルだっけな。続く冬から春にかけてパイプを作り溜めして、次の年のシカゴショー(訳注:5月開催)では全てソールドアウトになった。最初のパイプを作ってから9ヶ月の間に、僕は今もやっているような、ボタン部のデザイン、内部のエンジニアリング、適切な工具のセッティングを確立し、それ以降は細かいチューニングを施し、腕を磨くことに専念し、新しいことにチャレンジする傍ら、デザインとスタイルの限界を拡げることに注力して今に至るというわけさ。

わずか一年にも満たない間にパイプの値段を400ドル、500ドル、そしてついには700ドルと吊り上げていく<若造>については結構な話題になったみたいだよ。お客さんからは多くの賞賛を受け、他のパイプ作家からはたっぷりと敵意を持たれることになった。でもそれは結局のところ、アメリカのパイプ作家とアメリカのパイプ市場が次のレベルに上昇していくプロセスだったんじゃないかって僕は思うんだ。同時期にパイプ製作を始めた作家の中で最も名を上げた三人、つまりトッド(・ジョンソン)とジョディ(・デイビス)と僕とは、お互いの作品を見て自分の製作法を改良してゆき、ある意味一緒に成長していったようなものだった。そして多くのパイプ作家たち―長年僅かのお金のために苦闘しつづけた人たちも、高品質のアメリカ産パイプには実は世界規模の市場があることに突然気が付いたんだよね。実際僕のような人間に激怒した人たちも、喉元過ぎれば僕と似たような値付けをするようになったんだから。ある意味でそれはアメリカのパイプ市場のルネッサンスだったんだ。そしてその当時世界で起きていたことに目を向ければ、それは実にジャストなタイミングで訪れた変革だった。デンマーク勢がいわば小さな巣箱を占領していたけれども、彼らのパイプはほとんど全てのパイプコレクターの予算の埒外だった。そこに現れたのが創造性豊かなデザインで、細部までしっかり作りこまれた500ドルのアメリカン・パイプで、これなら買える、ということでアメリカ産パイプの市場が花開いたんだ。

C2 Grade Classic Author

DM:あなたが頭角を現し始めた頃、同時に世界では反煙草的な立法が盛んになっていました。これについては何を思います?

ML:別に大して。いつの時代もコレクターっていう人種は存在するしね。それに僕はかなりの数の、買ってもそのパイプを吸わないタイプのお客を抱えてるんだ。正直に言うとこれってちょっと残念だけどね。だってパイプは第一に吸うために作られているんだから。それにもしパイプショーが過去のものとなり、僕ら全員がアンダーグラウンドな存在になるような日が来たとしても、パイプ製作や販売までが非合法活動に、違法なものになるとは僕には思えないんだ。現在僕の顧客の30%から35%が海外のお客だ。そしてこの数はもっと増えていくんじゃないかと思う。世界を見渡してみれば、喫煙が寛大に扱われているだけではなく、文化として認められているところだってあるんだからね。

DM:多くの新進作家たちが、伝統的なクラシック・シェイプを学ぶのに必要な時間を掛けていないのではないか、という批評に対してどう思われます?これは本当だと考えますか?

ML:その質問をどう取っていいのか自信がないんだけど。新進作家としての僕に対して向けられたものなのかな?それともクラシック・シェイプ/アーティスティック・シェイプの両方を10年以上も作り続けている僕が、他のもっと、三年ぐらいしかキャリアのない作家についてどう思うかを訊いているのかな。後者だと考えて答えることにするよ。

最初に、クラシックはいくつもの理由から重要であり、適切に再現することで様々なスキルをパイプ作家にもたらしてくれるんだ。適切なエンジニアリングや適切な寸法を理解して自分の中の標準を正確に定位することになるし、昔からあるものに対する敬意を持つことにもつながる。さらに重要なのは昔からあったものに関して理解を深めることだけどね。僕がパイプショーで、まだ短期間しかパイプを作ったことのない作り手のテーブルの前に立ったとしよう。僕は彼の2-3のフリーハンド・パイプを取り上げて褒めることもあるだろうけど、パイプ作家として、また経験を積んだ販売者として、そしてコレクターとして―僕はこの三つの全てだからね―その時僕が頭の中で考えることはこうなんだ。『…このビリヤードは何故こういう格好をしてるのかな?これはこの作家のビリヤードの解釈の仕方なのかな?それとも単純なミスなのかな?この作家はサンディングを一定に保つ訓練が不足しているとか、シャンクとボウルを一直線上に位置させるための真っ直ぐなエッジを保つ訓練が不足していて、これが精一杯なのかな?』ってね。

僕にとって、そして僕のパイプ製作にとって、クラシック・シェイプをきちんと作れるということは死活問題なんだ。というのも僕の顧客のうち、ブロウフィッシュやピック・アックスに興味がある人を1とすると、トラディショナルなシェイプだけを購入する人たちはその三倍から四倍もいるからなんだ。僕のビリヤードは正確に作られていなければならないし、同時に<僕らしい、リンドナーっぽい>外見と感触も備えていなければならない。この<ある誰かっぽさ>っていうことに関してはどのパイプ作家も苦労してるよね。このおかげで部屋の反対側からでも「こいつはリンドナーだ。」「ヨウラだ。」「コウノヴィッツだ。」だって見てとることができるんだから。

どのような場合でも、僕はクラシックを<基準点>だと考えている。不変の、何度繰り返しても飽きない、ファンシーを作る以前にその人なりの解釈をマスターしなければならない体のものなんだ。それがビリヤードだろうがブルドッグだろうがダブリンだろうが、もしくは曾爺さんが生まれる前にフランスで考案された他のどんなシェイプだろうが構わないけれどね。クラシックに対する実践的で完全な知識がなければ、自分自身のスタイルの好みに合わせて何かを変えることなんてできやしない。せいぜいが<偶然良くできました>っていうレベル。悪くすれば、ぼんやりした出来の悪い代物になり下がってしまうだろうね。

E3 Grade Classic Apple

DM:あなたが作るパイプのうち、何割ぐらいがノン・トラディショナルなシェイプなんでしょう。また、そういったノン・トラディショナルなシェイプに時間を費やすのは何故なんでしょう。

ML:僕の作るパイプの大半がノン・トラディショナルパイプであるっていうのは誤解なんだよね。それどころか、僕が10本パイプを作ればそのうちの7本から8本まではトラディショナルの範疇に入るよ。ちょっとしたひねりを加えたものも含まれるけどね。リンドナー・パイプのコレクターには二種類のタイプの人がいることははっきりしている。クラシックに興味を持っている人たち。しかも厳密なクラシック・シェイプを解釈したもので、とりわけラージ・サイズのパイプにね。そしてもう片方はエレファント・フットとかデンマーク作家にインスパイアされたシェイプしか眼中にない人たち。

これって疑問が浮かんでくるよね。じゃあどうしてビリヤードやアップル以外のシェイプを作る必要があるんだろうって。でもね、たとえお客の80%がクロスカットのリンドナー製LB(訳注:ダンヒルの代表的ビリヤード・シェイプ)ビリヤードを買う状況だとしても、たとえ何カ月も売れずに残ったとしても、ハイエンドでアーティスティックなシェイプを作るための妥当な理由はいくつも挙げることができるんだ。

第一に、アーティスティックかつ機能的なパイプをテーブルの上に陳列しておくことは、一種の客寄せのように働くんだ。パイプ作家として、自分がやっていることが分かっているという証明だね。シボレーのような自動車メーカーのことを考えてみればいい。シボレーは、本当はコルヴェットZR-1(訳注:6.2リットル、オーバー630PSのモンスタースポーツ)のような車に乗れたらなあと考えている人々にマリブ(訳注:シボレーのミッドレンジ・セダン)を売ってるんだ。ZR-1は金食い虫だ。売上は採算が取れるというにはほど遠い低さだし、一台作るのに販売価格よりも金がかかってる。でもZR-1は人々をショールームに呼び寄せることができるんだ。妥当な値段の完璧なファミリーセダンが置いてあるショールームにね。

また、ZR-1に使われたテクノロジーはやがて低価格セダンにも搭載されるようになるよね。ABSがメルセデス・ベンツにしか搭載されていなかった時代を思い出して見るといい。同じことが僕のパイプにも言えるんだ。低価格パイプはブロウフィッシュなんかのフリーハンドでスタイリッシュな実験パイプ群から大いに恩恵を受けている。デザインはいうまでもなく、高価格パイプのフィッティングやフィニッシュには一層の時間が必要だ。でもそこで得られた経験は僕をもっとクリエイティブにしてくれるし、ダブリンやアップルを作る段になれば一層効率的に、そして一層正確にやることができるようになるんだ。

そして最後に、クラシックシェイプを作るときに必要な適切な製作法のルールと、広大なフリーハンドの解釈の仕方の間には際立ったコントラストがあって、それが脳の全く違った部分を使うトレーニングになるんだ。このことは僕を新鮮な気分にしてくれるし、僕が新しいシェイプや新しいクラシックシェイプの解釈の仕方を発表する度に、コレクターたちをも大いに楽しませてくれるんだ。

E2 Grade Billiard

DM:パイプ作家になってからの比較的短い期間に注目したとき、あなたは自分のやってきたことのうちどれだけのものが派生的な仕事で、そしてどれだけのものがあなたの真のアーティストとしての声に沿ったものだと思いますか?

ML:個人的には、パイプ製作を始めて間もないころから、僕はリンドナー作と分かるパイプを作ってきたと思う。もちろん「まるでテディ・ヌードセンのパイプみたいだ!」とか「まるでダンヒルが作ったみたいなパイプじゃないか!」と言われることはあるだろうとは思うよ。でもここでポイントなのは、誰も僕のパイプを「これはテディ作だね」「これはダンヒルだ」とは言わないことなんだ。一目見れば、それがリンドナーだってことは誰の目にも明らかなんだよ。

それってアーティストとイラストレーターの間にある差のようなものだよね。腕に覚えのあるパイプ作家だったら誰だって、カステロやダンヒル、ドクター・グラボウのコピーを作ることができると思う。もし本当にそうしたいと思ったならね。しかしパイプ作家として成功するキーポイントは、あるシェイプと決めたら、その基本的なスタイルには手を触れずにおきつつ、そのパイプがオリジナルに対するオマージュでありながら同時にその作家自身のパイプにも見える、といった風に作れるかどうかなんだ。これは僕が苦労しながら自分のパイプでもやっていることだよ。僕はカステロのコピーを作りたいなんて全然思わない。もしお客が欲しいのがカステロなら、その人はカステロを買うべきなんだよ。

蛇足だけど、僕が作り上げたうちのあるシェイプ―今思い浮かぶのはピックアックスだけど―は確かに僕自身だけのものだね。このデザインをコピーした他の作家たちもピックアックスという名前を使ってるけど。今じゃピックアックスに関しては実際いくつかのシェイプチャートに載り始めてるね。でも2000年に僕が作り始めるまでは誰もこのシェイプを作ってなかった筈だよ。

でも実際のところ、モダン・パイプメイキングの歴史には、今のところあまり大した<革新>は存在していないんだ。とても古いフランスのファクトリーのとても古いパイプを色々と見て過ごしたことがあってね。モダン・フリーハンド・デザインとしか言いようのない外見をもったパイプが1920年以前からごろごろ存在していた、ということを知ったのは驚きだったよ。全てのシェイプはもう既に全部、ずっと昔に作られていたんじゃないか、と思えるほどだった。真の意味でクリエイティブで、スタイルやデザインの限界を今広げつつある作家、また過去に広げていた作家なんて、全部合わせても10指に満たないんじゃないかと思うよ。パイプメイキングは、剽窃やコピーなくしては成り立たない種類のものなんだよ。

DM:普通とされるパイプデザインの領域があるとすれば、あなたはどのくらいの頻度でその外側に出ていきますか?パイプコミュニティはそういった<普通>の埒外にあるものに対してもっとオープンになるべきだと感じますか?私個人は新しいものを作るためにどれだけのルールが破られるものか見たい気がしますが、もちろん容易いことではないでしょう。<ひどく変わっている>パイプの写真があったら見せていただきたいです。

ML:他と違っていて、ユニークで普通じゃない外見にするために、そういったデザインの領域を拡大するのを楽しんだシェイプがいくつかあるね。ブロウフィッシュは個人的に好きなデザインのひとつだ。かなり強固な約束事(クロスカットで、ボウルはフリーフォーム、シャンクはちょっとカーブしている)があるにもかかわらず、このシェイプのデザインを決定するのは完全にブライヤーブロックの中の木自身なんだ。そのせいでめまいがするほど多くのデザイン解釈が生まれるんだ。基本的ルールがいかなるバリエーションにつながっていくかを見るには、僕のフェイスブックのアルバムにあるブロウフィッシュの写真を見るといいよ。

他に僕がよくやることとしては、興味深いデザインのパイプを見かけたときに、それを10分かそこらぐらいでシェイプの細かいところまで吸収するように記憶してから、そのパイプを解釈したパイプを作りたくなるまで、そのパイプを見たり思い出したりしないようにする、というのがある。記憶だけを頼りにすることによって、シェイプの細かいディティールや微妙な点はすっかり忘れ去られてしまう。実際に自分の手から出てきたものは一年前見たパイプとほとんど似ていなかったりするんだよ。こうやってあるパイプのデザインの限界を拡張し、真に自分自身のものと呼べるものが作れるようになるんだ。実際、ピックアックスはこうやって作ったものだったんだよね。あれはエレファント・フットがどういう見てくれをしているのか、スケッチ的に記憶したものなんだ。そしてピックアックスとエレファント・フットを並べて見てみれば、同じ血族ではあるにせよ、まったく別のシェイプだってことがわかるだろう。こうやって単に細部を忘れ、そこに空いた穴を埋める、というテクニックで、僕はフリー・フォーム・パイプのデザインの限界を押し広げることができているんだ。

Spider Grade "Prow"

DM:ドイツ作家勢は今現在、デザインを拡張する実験を行っているように見えます。例として、アクセル・ライヒャルトを挙げますが、何人かの作家はトラディショナルなシェイプのルールをひとつ残らず改変しています。これについて何か思うことは?

ML:ルールを押し広げていくことによって新たな地平が見えてくるわけで、革新的で、クリエイティブで、時にはパイプシェイプはどのようであるべきか、と感じるということに対して明確に反逆するパイプ作家たちには共感を覚えるよ。

というわけで、物理法則と熱法則を基本とした限度というものには従わなければならない。いくら美しく飾ったり、視覚効果に極限まで注力したとしても、そこに適切なエンジニアリングや、喫煙を許容するだけの十分なボウル厚がなければ、それはパイプじゃなくってただの可愛らしい彫刻に過ぎないわけで。コレクターにとってもその作家自身にとっても、単に内部の実際的な工作に考えが回っていなかったなんて理由で、焦げて底が抜けたり全然旨く吸えないパイプを交換するなんてことほど腹立たしいことはないわけだしね。どんな味がするかではなく、どうパイプの外見が映えるか、ということを気にする新人パイプ作家があまりにも多いんじゃないだろうか。パイプ製作の掟のうちのひとつは、自分の中の芸術家は裏に隠しておけ、ってことなんだ。この掟を無視すると、「なんですって?この作品を吸おうって言うんですか?しかもボウル厚が2.5mmしかないから焦がしちゃった、ですって?そんなの焦げて当たり前じゃないですか!」なんて馬鹿げたセリフを吐くことにもなりかねないからね。

今言ったこととはコインの表裏のようなものなんだけど、一方でパイプ作家は自分のパイプをできるだけ美しくするように努めなければならない。バランスが取れていないパイプ、面が変に凹んだり膨らんだりしているパイプ、エレガントじゃなく無駄に肉の多いパイプとかは…うん、そんなパイプも好きな人はいるんだろうけど、トム・エルタンの言葉を意訳するなら、"たとえグレインの美しさが現れても、そこで削るのを止めない勇気が必要だ"ってね。

僕個人に限った話だけど、もしあるパイプがちゃんと吸えて、バーンアウトする危険がないのなら、パイプ作家はアイデアを拡げ、時にはパイプデザインのルールを破るべきだと思う。実際の機能を無視してこれをやると、大変なことになるけどね。

D3 Grade "Nightshade"

DM:今まで使ったことがある素材の中で、もっとも変ったものは何ですか?実験や遊びで試したものでもかまいません。そしてその結果はどうでした?

ML:素材に関する限り僕って結構保守的なんだよね。大抵の場合は何度も試されていて保証がある素材しか使わない。ボウルにはブライヤー、ステムにはバルカナイトかブリンドル・バルカナイト(カンバーランド)。時に応じて水牛角、竹、エキゾチックウッドもしくはマンモス・アイボリー。あんまり珍しいものは試したことがないんだ。ずいぶん前にモルタ(神代木)の部材を手に入れたんだけど、買った時のままそこに置きっぱなしだ。そういうのってちょっと小手先すぎる気がするんだよね。もちろん他の人がそれで成功できるとは思わない、ってことじゃなくって。僕のスタイルじゃないかなってね。

DM:パイプ業界、パイプという趣味全体を見渡して、何かイラっとくる事柄はあります? 頭にくる、こういうんじゃなければいいのになあ、という事は?

ML:今ここでそれをぶっちゃけるべきじゃないと思うんだけどね(笑)どんなパイプ作家だって誰もが頭にくることの一つや二つはあると思うよ。僕は自分の技術をフェアなやりかたで他の人と共有してきたと思うんだ。ここで言っちゃえることがあるとすればそれはパイプ作家は大体二つのタイプに分けられる、ってことだね。自分のパイプの作り方やテクニックを全てに至るまでいじっこくガードする人たち。それと、聞かれればどんなことでも自由に教えてくれる人たち。僕は後者に属するタイプだね。僕が出会ったことのあるほとんどの作家たち、とりわけデンマークの作家たちもそうだ。僕自身が他の作家に質問したとき、答えてもらえなかったことなんてなかったわけで、そのことで不平を言ってるわけじゃないんだ。僕の不平は、本人はいろいろ実験しているだけなのに、もっと分別があってよさそうな人たちの作った石の壁ですっかり囲まれてしまってる新人作家についてなんだ。その誰かさんは一向に競争の輪の中に入れないままでね。あらゆるレベルでの健康な競争があってこそ、この業界は真に恩恵を受けるってものじゃないか。僕はかなりの数の作家たちの手助けをしてきた。趣味でやってる人もプロも分け隔てなくね。そしてどのケースでも、僕が見て『畜生やりやがったな!』と思える物を作った人は居なかった。みんなリンドナーのまがい物を作っただけで…おっと、喋りすぎちゃったな!(笑)そうじゃなくって、彼らは僕から望むものをみな取って行って、自分の工作技術を改善していき、自分自身のものとしていったんだよ。そうしてアメリカのパイプメイキング界全体を世界のステージに押し上げたってことなんだよ。

DM:あなた自身に関することで、人々が誤解してることはあります?また、あなたが思わず天を仰いでしまう類の質問とはどんなものでしょう。

ML:うーん、もし僕が人前で天を仰いで見せたら、おそらくその<誤解>ってやつが一層加速されることになると思うよ(笑)。よく聞くのは、『マイケル・リンドナーは気取り屋で、鼻もちならない自惚れ野郎だ』っていうやつ。事実はそうじゃなくって、僕は人が一杯いるところではリラックスできないんだ。沢山の人を相手にするのが難しいんだよ。だから僕はひきこもって押し黙ってしまい、喋りもしなければ笑いもしないっていう風になりがちなんだ。これが尊大だと受け取られちゃってるんだけど、実際のところそれは僕が内向的な性格ってだけなんだよね。

思い出すのは、カンザス・シティ・パイプショーで<パイプ作家Q&Aコーナー>に座らされたときのことで、そこはパイプクラブのメンバーやディナーに出席した人たちがパイプ作家に質問できるコーナーだったんだ。僕はいい感じに潤滑油が回っていて、つまりウィスキーを2-3杯ひっかけていたわけで、ちょっと緩んだかんじになっていて、内向的になったりあがったりせずに自由に喋ることができたんだ。それでその後になって、何人もの人々が僕のところに来て言うんだよ。『君がパイプを作れるのは知っていたけど、こんなにも楽しい/面白い/雄弁etc.な人だとは思わなかったよ!』ってね。とても楽しい夜だったね。だって僕が自分の殻から少し身を出すことができて、自分が他人が思っているような傲慢なくそったれ野郎じゃないってことを示せたんだから。今度はお酒がなくってもああいう風にやれるようにならなくちゃなあ!

DM:あなたは車を運転するのが好きだと聞きましたけど、どんな感じでどういう風に楽しんでいるんです?

ML:ああ、車は大好きだよ。イカす車でぶっ飛ばすのが大好きなんだ。前からヨーロッパ車を何台も乗り継いで来ててさ。主にアウディとVWだったけど、サーブ・ターボに乗っていたこともあるんだよ。それにフェラーリやロータス、ポルシェにBMなんかのスーパースポーツのハンドルを握らせてもらったこともある。当然好きなのはドイツ車だ。精密な機構と未来的なテクノロジーがビンっと来るんだよね。

最近アウディのクワトロ・ターボ(世界ラリー選手権で初の四輪駆動車として活躍した80年代のアウディの名車)に乗り換えて、パフォーマンスのチューニングを始めたところさ。今やってるのはねえ、コンピュータ・チップのアップグレードだろ、サスの交換だろ、それに大容量エキパイに、新タイヤ。タービン径アップとエアインテイク・システムだ。僕はレンチを握って大抵のことは自分でやれるんだ。できないのはトランスミッションの再組み立てぐらいだね。メンテをするのも好きだし、20代のはじめごろにはカーオーディオと電装系の組み込みの仕事をしてたから、今自分の車にイカすサウンドシステムを組み込もうと考えてるところなんだ。これはハイファイオーディオと車のチューニングっていう僕の興味があるもの二つの組み合わせで、それを両方同時に満たしてくれるものなんだ。

DM:自分のパイプをどんな人が吸っていたらいいなと思います?

ML:エセル・マーマン(「ブロードウェイの女王」と呼ばれた歌手。1984年死去)かな。待てよ、彼女は亡くなってたっけ? うーん、僕は昔からデトロイト・タイガースのファンだからね。前監督のスパーキー・アンダーソン(1979年から1995年までタイガースを率いた名監督)―あの人はパイプスモーカーなんだよね―が僕のビリヤードを咥えてるのが見れたらいいだろうな。誰も気づかないとは思うけどね。でももし彼にパイプを進呈できたら素敵だろうなあ。彼には子供の頃すごく楽しませてもらったからね。1984年のワールドシリーズの勝利は最高だったよ。―その他は、ちゃんと吸ってくれるなら別に誰が僕のパイプを買おうと気にしないかな。僕のコレクターに一人、誰よりも沢山マグナム・サイズのリンドナーを持ってる友人がいるんだけど、彼にはパイプショーに来るときはいつも僕のパイプを持ってきてくれるように頼んでるんだ。彼がそのマグナムをどれだけ吸っているのか確かめるのがたまらなく好きなんだよ。他のパイプ作家はどうだか知らないけど、僕はしこたま使い込まれて、トップにタールがごっそり溜まって、カーボンがついてステムに歯形がついたパイプを見ることは、パイプ作家として最高の栄誉だと考えてるんだ。それって彼らが掃除をする暇もないほどそのパイプを愛して吸いまくっている証拠だからね。パイプ作家の僕にとって最高の賛辞だよ。

DM:パイプ製作以外に、アーティスト気質を表現できる手段はお持ちですか?

ML:なにか一つのことに打ち込める人って、どんなことにも情熱を注げるものだと思う。僕についてもそれは言えるんじゃないかな。僕は芸術家肌なんだ。キッチンに立てば結構な腕前のコックになって小さなディナーパーティーを開くのが大好きだしね。子供のころはピアノを習っていた。3才から始めたんだ。自分でコード進行を覚えて簡単なメロディーを作ることができたよ。絵は2才の頃から描いてる。十代から20代の始めまでは結構描いていて、絵を売ってたこともあるよ。詩を書いたり、短編小説を書いたりもしてた。もちろん、最近はそんな時間は取れないから、パイプ製作の傍らたまに料理をするぐらいかな。まあ、僕は芸術的なことをバックグラウンドにしてきたとは言えるんじゃないかな。

マイケル・リンドナーにパイプを製作を依頼するには:連絡先一覧
リンドナー・パイプス ウェブサイト
ザ・パイプラック
電話:1.888.592.9100 (北米)
Email: orders@thepiperack.com

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